本物思考

普段の気づきを本に聞いてみる

不機嫌な人

先日買い物をしていたときに、レジの女性の対応が気になってしまった

人の目を見ずに、淡々と応じている。もしかしたら機嫌が悪いのかもしれない

私は、そういう人が発する空気感を察知しすぎてしまう(HSPというらしい)ので、やたらとその女性の対応が気になった

帰り際、その方に向かって、笑顔で「ありがとうございました」と言って立ち去った、だが相手は無反応だった

帰り道にどうでもいいことを考えてしまう

あの女性は、いやいや仕事をしているんだろうな、とか挨拶ぐらい返せばいいのに…とか

しかし、ここでふとあの女性の対応を自分に置き換えてみる

自分も仕事中になにか言われたり、頼まれ事をされたときに、無愛想な対応をしていなかったか?

思い出すとそれはもうたくさん出てくる。あまり深堀りしすぎるとバッドになりそうなので、程々で止めておいた

私が人と接するときに常に念頭に置いているのは、「相手は自分の写し鏡」だ、ということ

不機嫌な相手を通して見ることで、自分の中にある不機嫌な自分を見ているんだ、と改めて思った

「人間の最大の罪は不機嫌である」なんて有名な詩人が言っていたようだが、常に機嫌よくいることの難しさを実感している

だからといって、人に対してつい冷たい返事をしてしまったりした後に、その都度「またやってしまった…自分はだめなやつだな…」と反省するのは違う

そういうときは、「そんなときもあるさ…つぎはもっと人に優しくしよう!」と思うべきだ

つまり「できない自分を許す」ということ

できないのが当たり前。できたらスゴイ!と自分を褒めてやる

そうしていれば、自分の機嫌なんか勝手に良くなっていくもんだ、と経験した

昔の私は、自分を許すことができなかった。だから人を許せず、常に不機嫌だったのだ

この女性を見ることで、昔の不機嫌な自分を見ていたんだ、と気づいた

だから、そんな少し失礼な対応をされても「まぁそんなときもあるよね」と思うことができたんだろう

昔に比べて、自分は少しだけ人に優しくなれなんだなぁと、何となく思った

人と関わる

自粛期間に家にこもっていると、寂しいと感じる人が多いのではないかと思う

家でぼーっとテレビを見ていて、自分だけ社会から切り離されているような感覚に襲われることがあるのだろう

仕事を引退して、社会との関わりが薄くなってきたご高齢の方ならなおさらだ

孤立感を克服するもっとも一般的な方法は、集団に同調することだという

今の世の中を見れば、嫌というほど思い知らされる

自粛警察だの、不織布マスク警察だの、失笑ものだ

人は、人と関わらない限り、いつまでも孤独だ

そこで自分に置き換えてみる

自分は人と関わる努力をしているだろうか?

関わった人に、「この人と関わることができて良かった」と思わせることができているだろうか?

私は、人と関わって、その人のお役に立って喜んでもらえることが、私の幸せであり生きがいなんだ、ということが分かった

お役に立つと言うと大げさに聞こえるが、本当に些細なことでいい、というルールを課している

人に親切にするのはもちろん、なにか言われれて受け答えるときに、言葉遣いに気をつけてみる

そっけない言い方をしてしまい、相手に不快感を与えてしまうかもしれない

そんなちょっとした心がけをして、良い「クセ」をつけていく

レジで会計を済ませた後、店員さんに向かってしっかりと目を見て「ありがとう」と言う。それだけでもいい

絶対に相手は悪い気はしないだろうし、いい気分になってくれたら、自分も気分がいい

それだけでいいし、最初はその程度のことしかできない

筋トレ初心者が、いきなりバーベル100キロ上げるのなんて無理なように、少しづつ段階を踏んでいく

それでも多くの人が、無理やり重いものを持ち上げようとして腕を壊してしまい、「自分にはやっぱり向いていない」と言って、やめてしまう

まずはちょっとづつやってみる

本当にちょっとづつ、負荷を感じない程度が理想だ

そんなちょっとした積み重ねが、大きな親切になっていく

 

親切をした後の清々しさは、経験しないとわからない

人のお役に立てたとき、からだの中から喜びが湧き上がってくる

そして「あぁ自分はこのために生きているんだな」と感じることができる

人と関わらないことには、自分の生きがいを感じられないように、人はできているんだと思った

有意義な休日

現在連休中で、有意義に過ごしたいと思うが、何をしたらいいかわからない

長期連休といえば、旅行がセオリーと言ってもいいと思うが、国が引きこもっていろと言うのだから、それもやりづらい

思えば人はなぜ旅行に行くんだろうか

自分の世界を広げるため、旅先での出会いを楽しむため、なんてところが一般的だろう

人間というのは、ある程度歳を重ねると、自分の世界を広げるというのが難しい

それこそ乾いたスポンジのように、何でも吸収するような若い頃は、無茶をしてでもいろいろな経験をするべきだと思う

人生は経験の積み重ねであり、今さえない人生を送っているのは、さえない経験を積んできたからだろう

そんな人が、国内旅行をしたところで、大して世界は広がらないし、大した出会いもないと思う

温泉に浸かっていい気分になって数万円飛んでいく

なんだか刹那的でむなしいし、あとに残るものがない

有意義な休日ってなんだろう?と思いながら掃除や読書をして、当たり前の日常の中からヒントのなるようなものを探していく

普段から有意義な日常を過ごしてないと、いざ休日になって有意義に過ごせ!なんて言われても過ごせないんだ、と気づいた

代表的日本人

家の中でできる有意義な過ごし方をするとしたらなんだろう?と考えたら、やはり読書が一番だ、と思った

この自粛GW期間はできるだけ本を読もう、と決心した

色々本はあるが、とりあえず古典をメインに読んでいきたい

外出ついでに書店に行き、古典の名著と呼ばれるものを数冊買うことにした

昨日読んだのは、内村鑑三氏の「代表的日本人」という本だ

日本人が英語で日本の文化、思想を西欧社会に紹介した代表的な著作で、西郷隆盛上杉鷹山二宮尊徳中江藤樹日蓮上人のエピソードを紹介している

「徳」とはなにか、徳の高い生き方ってなんだ?と思ったら、この本を読めばわかる

読んでいて、鳥肌が立つ思いをする瞬間が何度もあった

この日本を代表する偉人たちは、その人が持つ徳の高さで、人々を動かしてきた

この方達は、人の「動かし方」を知っていたのだ

自分もこの素晴らしい偉人の「徳」に触れて、自らの恵まれた境遇にあぐらをかいている状態に恥ずかしい気持ちで一杯になり、それと同時に、心が洗われる感覚がした

「古典は魂の栄養になる」と、私の尊敬している方が言っていたが、まさにそのとおりだと思った

頭に入り勉強になった、というよりも、心のなかにスーッと染み込んでいく感覚

素晴らしい読書体験だった

失敗の心得

仕事で失敗をしてヘコんでいる人が居た

「またやっちゃったよ…なんでだろう」と

気持はよく分かる。自分もかつてはそうだったから

全く失敗をしなくなったわけではないし、もちろんミスはする 失敗に対する考え方を変えただけだ

昔は、失敗をしてしまったら、ミスをする前の時間に戻りたい、とか 

自分はどうせだめなんだ…みたいに、自分を下げるようなことばかり考えていた

むしろ、自分はだめなんだ、と思い込みたいために、定期的に失敗をしているようにすら感じた

悪いことばかりに意識を向けてしまい、自ら悪いことを引き寄せていたようだ

この負のループから抜け出すには、失敗に対する考え方を変えること以外に方法はない

「失敗してしまったけど、そのおかげでこんな学びがあった!」

「この程度の失敗ですんでよかった!もしここで見つからなかったら、もっと大きな損失を出していたかもしれない!」 など

楽天的なポジティブ人間になりきる、というわけではなく、失敗に対してポジティブになるということ

この失敗がいかにして、自分にとってプラスになったかを考える

そうでなくては、失敗をした甲斐がない

失敗なんて、これから死ぬまでし続けるのだから、少しでも早く自分なりの対処法を考えておくべきだ

これを意識して継続していくだけで、見違えるほど人生が良くなっていく

もちろん失敗の大小はあるが、些細な失敗に対処し続けて経験値を上げておけば、いつか大失敗したときにも対応できるはずだ

普段の生活から、仕事をしているときまで、常に学ぶチャンスはある

失敗を喜べるようになれば、完全に勝ち組だ

 

ゴミ拾い

道に落ちているゴミがひどく気になる時がある

ゴミなんて無限に落ちているし、気にしていたらきりがないけれど、ひどく気になる

自分が拾わなくても、誰かが拾うから関係ない、普通ならそう考えるはず

落ちているビニール袋を拾って、近くのゴミ箱に捨てた

「自分には関係ない」ずっとそう思って生きてきた

電車内で、お年寄りに席を譲っている人を見て、次は自分もやろう、と思う

だが、いざそのような場面になると、躊躇してしまう

恥ずかしいのだ。周りの目を気にしているのだ。

人にどう思われるのかばかり気にして生きている

こう思われなければならない、とか こう思われるべきだ、とか

自分が長年蓄積してきた思考が、そう考えている

この無駄な思考ほど、厄介なものはない

思考はもちろん生きていく上で大切なものだ

でも、自分がやりたいと思ったことにまで介入してきて、ブレーキになることもある

こに厄介なブレーキを壊さなければならない

その方法は、自分がやりたいと思ったことは、思考が介入してくる前に「行動してしまう」ことだ

だから僕はゴミを拾ったのだ

誰かが拾うから自分には関係ない、という思考が働く前に、ゴミを拾ってしまう

電車内で立っているお年寄りを見つけたら、思考が働く前に、席を譲る

ひたすらこんな小さなことを意識して継続してみる

無駄な思考のブレーキを壊して、自分に正直に生きていけるようになるはずだ

やりたいことがあってもできない、と考えている人が多いと思う

僕にとってゴミ拾いは、本当にやりたいことをやるための、ちょっとしたリハビリのようなものなのだ

イラつくとき

他人にイラついてしまう時がよくある

特に、人のことを考えられない自己中な人間に腹が立つことが多い

なぜイラつくのかを考えたときに、自分の思い通りにならないからだ、と気づいた

自分はこんなに人に気を遣っているのに、なんでこいつは…とか

自分だったらこうするのに…とかどうしても自分ベースで考えてしまう

人それぞれ考え方は違う、と分かってはいるけど感情は正直なので、怒りはどうしても出てきてしまう

いちいちイラ立たせる人に出会うたび、こうするべきだ!なんて言って自分の意見を押し付けるわけにも行かない

まずは自分の考え方を変えるしかない

自分がイライラや緊張を見せている限り相手も同じ反応をする

相手は合わせ鏡だから、相手の気になる振る舞いは、自分の中にもあるんだ、と気づくこと

相手の嫌なところや良い所に気づけるのは、自分の中にもそれがあるからだ

自分が変われば他人が変わる、とよく言うが、まずは自分の考え方を変えるのが先なのだ

他人の嫌な振る舞いを見て心がざわついたら、冷静になり「自分の中にもそんな嫌なところがありました」と、反省する

こうして自分の内面を変えていくことで、自分の見ている世界にも反映されていく

初めはゆっくりで劇的な変化は起きないけれど、確実に変わっていくので、継続していくしか無い

そうして内面を変え続けていくことで、過去と比べて、今自分の周りでほとんど嫌なことが起きないことに気づく

ゆっくりだが確実に変わっているんだな、と今過去を振り返り、変化していることを実感できた